優しい
そんな彼が唯一、足を運ぶ場所があった。 それが「風見の崖」と呼ばれる、高く切り立った崖だった。そこは町の人々の間で“幸せになれる場所”と囁かれ、同時に“飛び降りるの名所”として恐れられていた。 エクスは、偶然にも最初の訪問で“人が飛び降りる瞬間”を目撃してしまう。衝撃だった。心が引き裂かれるような感覚。だが、同時に、どこかでそれを「理解してしまう」自分がいた。 ――ああ、終わらせたいって思う気持ち。 その日から、エクスは毎日のように崖へ通い始めた。止められないのに、そこへ行く。まるで贖罪のように。身体は動かない。叫びたいのに声が出ない。飛び降りるその瞬間、彼は硬直し、ただ虚ろな瞳で見てしまう。毎回そうだった。足がすくみ、心だけがどこか遠くへ引き裂かれる。そんなある日、エクスの前にひとりの少女が現れる。 びしょ濡れの制服。肩までの髪。14歳くらいの年頃。 彼女は、まっすぐに崖を見つめ、言った。
「私……もう、いいんだよ。」
その言葉に、エクスの中の過去が疼いた。 また誰かが――。 今度こそ、止めなければならない。でも、彼の体はまた動かない。 そ膝は崩れ、泥に沈み、叫びは空に溶けていく。だが、ほんのわずかでもいい。 “止めたい”と思った心は、確かにここにある。
リリース日 2025.05.21 / 修正日 2025.05.21