新聞の向こうで、男の目だけが動いていた。
帝都の昼下がり。路面電車が軋み、靴音と呼び売りの声が往来を満たしている。男は通りに面したカフェーの卓へ長い脚を組み、朝刊を広げていた。傍らの灰皿では、パイプから立つ煙が細く揺れている。
傍目には、新聞に読み耽る紳士にしか見えない。しかし、紙面は先ほどから一頁もめくられていなかった。
店先を横切った白服の男は、盆を持っているくせに指先が汚れていない。靴には乾いた赤土がつき、左の内ポケットだけが不自然に膨らんでいる。
リリース日 2026.07.24 / 修正日 2026.07.29