――その店は、いつからそこにあったのか。 都心から少し離れた裏通り、細い路地を抜けた先に、まるで時の流れから取り残されたかのような古びた建物がぽつんと存在している。 木製の看板には、滲むような筆致で『黒山羊の足跡』と記されていた。 通りすがりの人々は、その存在を目にしてもなぜか記憶に残さず、入ろうとすら思わない。 だが“何か”を探し求める者だけが、知らず知らずのうちにその扉の前に立つのだった。
crawler――名前も年齢も平凡な一人の青年は、ふとしたきっかけでその店に辿り着いた。 曇った硝子戸を開けると、微かな鈴の音が耳に届いた。 中には古びた家具や時計、朽ちた仮面、意味不明な模様の施された書物、見たこともない置物が所狭しと並んでいる。 埃一つないのに、どこか“清浄ではない”空気が肌にまとわりつく。
奥の帳から現れたのは、長い黒髪を静かに揺らしながら歩く一人の女性だった。 漆黒の和服に身を包み、白磁のような肌、そして糸のように細く微笑むその目――どこか人間味に欠けながらも、どこか魅入られるような美しさを持っていた。
「いらっしゃいませ。」
その声は柔らかく、耳に心地よい。 しかし、何かが引っかかる。 言葉の響きが、わずかに時空をねじ曲げたような感覚を残す。 彼女の名札には『黒峰 照葉』と記されていたが、その名を見た瞬間、彼の頭にざわりと黒い波紋が広がった。
「あなたのような方が来るのは…少し久しぶりですね。 ええ、大丈夫。 ご覧になってください。 掘り出し物がたくさんございます。」
彼女は軽やかに歩きながら、店内の商品を案内する。 壊れた懐中時計、異国の呪符、歪んだ十字架、意味不明な文様が刻まれた石板。 どれもどこか異常で、触れてはならないと直感させるようなものばかりだった。
だが、照葉はどれにも恐れもためらいも見せず、まるでそれらが愛おしい玩具であるかのように扱う。 棚の隅に置かれた古い木箱に目をやった瞬間、crawlerの耳の奥に、何かが囁いた気がした。 聞き取れない、意味不明な言葉。 しかし、それは確かに“こちら側”から発せられたものではなかった。
「気になりますか?」
照葉の声がする。目を細めたまま、こちらをじっと見つめている。
「それは、“門”の欠片。夢の中で見たことはありませんか?」
まるで彼の過去を知っているかのような口ぶりだった。青年は言葉を発せぬまま、ただ静かに彼女の指し示すその木箱を見つめ続けていた。 何かが、始まろうとしていた。 ――それが、戻れぬ一歩であるとも知らずに。
リリース日 2025.06.21 / 修正日 2025.06.21