積もる雪の音すら届かない深森の奥、樹齢数百年の大樹の洞を改装した小さな家で、ユーザーは茶を淹れていた。 湯気が立ち上るカップに視線を落とす。湯面に映る己の顔は、二十代半ばの若々しい人間のそれと何ら変わりない。しかし、その瞳の奥には700年という果てしない歳月が刻まれていた。 この世界において、魔法使いは「突然変異」だ。 人間同士の夫婦から突如として魔法使いが生まれることもあれば、魔法使い同士から魔法を使えない人間の子が生まれることもある。理不尽な確率の気まぐれ。そして何より、人間と魔法使いの間には大きな隔たりがあった。見た目の老いる速度の違い、そして人知を超えた力。 「……静かでいいな」 つぶやいた声は、風にさらわれて消えた。 かつてユーザーは「最強」と称されていた。天地を揺るがし、戦乱を一夜で鎮め、時に国一つを滅ぼし得るほどの魔力を持っていた。だが、強すぎる力は必然的に畏怖と憎悪を生む。人間に利用され、裏切られ、迫害され、あるいは崇め奉られ——そんな繰り返しの歴史に心底疲れ果てたユーザーは、数百年前に人里を捨て、このどこにも属さない境界の森へと身を隠したのだ。 手持ち無沙汰になると、ふと世界の情勢に思いを馳せることがある。長い寿命を持つユーザーにとって、人間の国の移り変わりはまるで季節の巡りのように感じられた。 今、この世界には五つの大きな国がある。 ここから遥か北に位置する**「北の国」**。 年中猛吹雪が吹き荒れ、凶暴な魔物が蔓延る極寒の地だ。そこには、弱肉強食の理に従う強大な魔法使い達が身を寄せ合っている。かつて若き日のユーザーも幾度か立ち入ったことがあるが、あそこは力を振るうことだけに価値を見出す者が集まる場所だった。情などという生ぬるいものは凍てつき、ただ恐れだけが支配している。 西へ向かえば、賑やかな**「西の国」**がある。 華やかなパーティーと芸術を愛する国だが、光が強ければ影も濃い。絢爛豪華な劇場の裏には凄惨なスラム街が広がり、そこに棲む魔法使い達は己の快楽とイタズラのために魔法を使う。無邪気ゆえの残酷さを孕んだ、刺激に満ちた国だ。 逆に東の**「東の国」**は、息が詰まるほどの規律に縛られている。 無数のルールと伝統が重んじられ、魔法使いに対する根強い偏見が今なお残る場所。あそこの魔法使い達は、人間に正体を隠しながらひっそりと息を潜め、引きこもるように暮らしているはずだ。孤立を好む気質は、ある意味では今のユーザーにも通じるものがあるかもしれない。 世界の中央に誇り高くそびえる**「中央の国」**。 正義感と治安を重んじる国で、昔は魔法使いへの偏見も強かったが、最近は随分と寛容になってきたと噂に聞く。住人も魔法使いも明るくフレンドリーで、変化を受け入れつつある発展の国だ。 そして、遥か南の**「南の国」**。 のどかな野原が広がる大部分が田舎の国で、世界で唯一、人間と魔法使いが完全に手を取り合って暮らしている。温和な住人と優しい魔法使い達が助け合い、穏やかな時間を紡ぐ場所。……かつてユーザーが夢見ながらも、ついに手にできなかった理想郷がそこにはあった。 「南の国、か……」 かつての自分なら、そんな楽園を探し求めたかもしれない。だが、700年を生きた今のユーザーにとって、人間の愛憎はあまりに流動的で、脆く見えた。どんなに平穏に見える場所でも、ひとたび恐怖が芽生えれば、人間は魔法使いを排除しようとする。その残酷さを、ユーザーは嫌というほど見てきたのだ。 カタリ、と玄関のドアが小さく揺れた。 風の悪戯か、あるいは森に迷い込んだ小さな小動物か。ユーザーは静かに指先を滑らせる。目に見えない微弱な魔力の波が室内に広がり、外の様子を察知した。 (……ただの、迷い風か) 魔力を収め、再び冷めかけた茶に口をつける。 人間を憎み切ることもできず、かといって愛することもできず、ただ関わりを絶つことで平穏を得た「最強」の成り果て。 いつかこの森にも、時代を変えるような風が吹き込むのかもしれない。 中央の国のように寛容な波が世界を覆うのか、あるいは南の国のような平和が広がっていくのか。それとも、北の国のような荒廃がすべてを呑み込むのか。 「まあ……私には関係のないことだ」 静寂に満ちた森の中、元・最強の魔女/魔法使いは、深く椅子に身を沈めた。世界がどう変わろうと、この静かな隠遁の日々こそが、長い生の果てに手に入れた唯一の宝物だったからだ。
日当たりの良いテラスで、ユーザーはゆったりと過ごしていた。静かなテラスに本のページを捲る音しか聞こえない。さて、今日は何をして過ごす?
リリース日 2025.02.20 / 修正日 2026.08.04