**大きくなったら**
⚠️裏プロネタバレSS(NL)
僕は、誰とも添い遂げるつもりなどなかった。
終わりのない務めを、この暗く澱んだ冥界で孤独に果たしていくつもりでいたのだ。まわりの神々が結婚して、次々と子を授かっていくなかでも、その意思は何千年ものあいだ、決して揺らぐことのない意思だった。僕は自身のことを冥界の統治者として生きることを定められた神にふさわしいと自嘲できるくらいには卑屈で、陰気であると思っている。他の神に腫れ物のように扱われ、疎まれてきたことがより一層その意識を強めた。……だから、だから。僕のような存在を愛してくれるような者に出会えるはずがないと思っていたのだ。
ある日、特筆するべき理由もないほど軽い気持ちで人間界へ赴いた。地上を踏みしめた。あえて理由を付けるならば、ただの気の迷いだったと言えよう。ふらふらと降り立った森をあてどなく歩いていると、いつの間にやら色とりどりの花が咲き乱れる野原に辿り着いた。あまりにも眩く、生気が満ちた空間に思わず身震いする。なんとなく歓迎されていると思えず……いや、自分はこの場に居るべきではないと結論付けて引き返そうとした。しかし、身を翻そうとしたその一瞬で、視界端にひとりの少女が目に飛び込んできた。よくよく耳をそばだててみると、啜り泣く声も聞こえてくる。
「……どうしたんだい」
「ひっ!?」
どうしてか放っておくことができずに半ば早足で近付いた。声を掛けるまでこちらの存在に気付いていなかったのか、蹲っていた幼い少女は短い悲鳴をあげて地面に尻もちをついてしまった。驚くのも無理はない。傍から見れば全身が黒に包まれた装いの大男だ。僕は怖がらせないように、一歩後退りしてからその場にしゃがみ込んだ。少女は目をまん丸にして、呆けた顔でこちらを見ていた。
「怪しい者に見えるかもしれないが、怖がらないでほしい」
「…………。」
「どうして泣いていたのかな」
「……あ、きれい……」
ほうっと感じ入るような溜息を吐かれる。そして、ハッとしたように少女は花が咲いたような笑みを浮かべたかと思えば……いそいそと腰を上げて、僕との距離を詰めてふたたびしゃがみ込んだ。目を輝かせて僕をまっすぐに見上げている。どうして泣いていたのか、という問いかけに対する答えではないことは分かっていたが、あまりにも突拍子もない言葉にオウム返しすることしかできなかった。
「……は……きれい?」
「うん!きれいな、おにいさん。おうじさまみたい」
「……僕が、かい……?」
「もう!おにいさんいがいに、だれがいるの?」
「それは……そうだけれど」
まわりを見渡したが人ひとり見当たらない。あるのは風に揺れる草木と花々だけ。木々の葉が擦れ合う微かな音とともに、草花のやさしい香りがあたりに漂っている。彼女の発言の意図を紐解こうとしたものの何も分からなかった。
「わたしね、本でよんだことがあるんだけど……」
「……ん?」
「おひめさまはね?おおきくなったらおうじさまが、むかえにきてくれるんだって」
「……うん」
「わたしね、おひめさまなの。あそこにみえるでしょ?おしろが」
「あぁ、あれか」
「そう!あそこのおしろにすんでるんだけど……こっそりぬけだして、おさんぽしにきたら、まよっちゃって」
指差す方向に城塔がぼんやりと見える。そこでようやく少女が泣いていた理由に合点がいった。道に迷って途方に暮れていたようだ。どれほどの時間が経過しているかは定かではないが、今頃、城では大切な姫君が行方をくらましたと騒ぎになっているに違いない。……ここで会ったのも何かの縁だ。城まで連れ帰ろう、と口を開こうとしたその時だった。少女が僕の手を掬い取って、小さな手でキュッと握りしめた。
「おどろかないでね、おこらないできいてね?」
「……ん、何を」
「でも、こどものいうことだって、ばかにはしないできいてほしいの。やくそくしてくれる?」
「……あぁ、わかった。約束しよう」
うつむき加減になった少女を見つめる。手もとに落とされた視線、ふるりと揺れた睫毛、噛み締められた艶やかな唇。それを見て、幼子に向けるべきではない後暗い感情がどろりと渦巻く。この感情が何であるか思考を巡らせつつ、一体彼女が何を言わんとしているのか固唾を飲んで見守る。しばらくして少女が意を決したように、こちらを見上げて口を開いた。
「今はわたし、まだこどもで……けっこん、できないでしょう?」
「そうだね」
「だから、だから……。ね、おおきくなったら、けっこんして!」
「……なんだって?」
「すこしくるのがはやかったけど、えほんでみたおうじさまって、きっとおにいさんだとおもう!」
「いや、それはないだろう。僕ではないよ」
「ううん、ぜったいにそう!わたし、あなたのおよめさんになりたい!」
彼女の口から飛び出した言葉に、息が詰まって目を見開く。お嫁さんになりたい。出会って間もない、しかも年端もいかない少女の言葉だ。普通の人間であれば否と答えるのだろう。だが、残念ながら僕には人間らしい感性は備わっていない。人間ではないからだ。
……あぁ、どこぞの女神が言っていた、恋に落ちるのは一瞬だという言葉を身をもって知ることになろうとは。驚きつつ冷静に考えた上で、否と答えるという選択肢が終ぞ頭に浮かぶことはなかった。彼女に握られた手をゆっくり引き抜いた。今度は僕がその手を包み込むように、壊れ物を扱うかのようにやさしく包み込む。そして、少女の目線の高さに合わせるように前屈みになる。
「……本当に、僕の花嫁になってくれるのかい?」
「はなよめ?およめさん?……うん!やくそくする!」
「お前が大きくなったら……その時に気持ちが変わっていなければ迎えに来よう」
「……! ほんとう?ほんとうに!?」
「あぁ、本当だよ」
興奮したように頬を赤らめている彼女を見て、自然と笑みがこぼれる。自然と言っても、きっとぎこちないものだったに違いない。何千年と笑った記憶がないのだから当然だろう。この時、僕は初めて誰かを愛おしむという感覚を知った。愛おしくて、どうにかなりそうで。……でも、これが幼子の一時の感情である可能性は否めない。このまま冥界へ連れ帰って、成長するにつれて恋情が勘違いであったと気付いてしまったら、拒まれてしまったら。そう色々と考えて、成長したこの子が自ら僕を選びとってくれることにきっと意味があると結論付けた。
「……では、僭越ながら僕の花嫁候補が大きくなるまで、傍で見守っていることにしようか」
「えっ!?」
「浮気などしないようにね。よそ見をされたらたまったもんじゃない」
「うわき……?」
「いや、忘れてくれ。今のお前が知るには早い言葉だったよ」
ねぇねぇ、うわきってなに?と不満げな顔で問い詰めてくる少女を抱き上げた。浮遊する感覚に驚いて、身を強ばらせた少女を見て笑った。安心させるようにするりと人差し指で頬をひと撫でしてから、城に向かって歩き始める。
「……そういえば、名を聞いてなかったね?名前はなんと言うんだい」
「……ん?あ……わたし、 っていうの」
「そうかい。良い名だね」
「おにいさんは?おにいさんのおなまえは?」
「僕は……」
――このあと、僕は自らの記憶を封じた。成長した少女が変わらず僕を愛して、傍に居ることを望んでくれた時に封印が解かれるようにまじないを掛けた。少女と王宮全員の記憶を書き換えて、ただの行き倒れていた魔術師ヘルガとして傍に居ることを選んだ。彼女の成長を誰よりも近くで見ていたい。でも、記憶があったままでは冥界に連れ去ってしまいそうだったから。強引に手篭めにして得る愛は、愛ではない。……そう考えているから。
「僕の名はヘデラルガ。冥界の神ヘデラルガ。お前が大きくなる日を、大きくなったお前がこの僕の手をふたたび握ってくれるまで……ずっとずっと、待っているよ」