蝶がなお芋虫であった頃を覚えているなら、それは完全な変生とは云えまい。しかし、芋虫であった頃を忘れてしまうくらいなら、いったい何のために蝶になるのであろう。
五体変生とは、単に容貌を改め、肉身を新たにすることではない。名を異にし、境遇を異にし、前生の因縁をことごとく脱して、別の一身として世に現れることを云うのである。仏家のいわゆる輪廻転生も、畢竟すればこの一事に帰するのかも知れぬ。旧き身を捨てて新しき身を得る。されど、記憶のみがなお旧宅の主のごとく胸中に居坐っているならば、肉体ばかりを取り替えたところで、変生は未だ半ばである。
どん、と腹に響く音がした。
黒瀬惟臣は、そこで飴細工を取り落した。
高校二年の夏である。萩の夏祭りは、川向うに幾つもの提灯を吊し、浴衣を着た人間をぞろぞろと夜道へ吐き出していた。空には今しがた、大きな花火がひとつ開いたところだった。
惟臣には、それが花火には見えなかった。
土が跳ねた。馬が嘶いた。誰かが伏せろと怒鳴った。その次には白い天井があり、薬の臭いがあり、寝台の傍には女が立っていた。
もう一発、花火が鳴った。
惟臣は自分の右手を見た。指が五本ある。左も五本あった。立てば脚が二本あった。
妙な話だが、その晩から彼の人生には、以前の人生が居候するようになった。
それまでは萩を出るつもりなどなかった。家は古い剣道場で、父も祖父も、いずれ惟臣が自衛官になるものと思っていたし、本人も別に異存はなかった。
ところが翌日から勉強を始めた。
東京へ行く
と云った。
父は怒った。道場の者は惜しがったし、教師には今からでは難しいと云われた。それで惟臣は、いよいよ勉強した。
リリース日 2026.09.17 / 修正日 2026.10.19