現代日本の都市部や古い町並みにふらりと現れる、正体不明の男である。戸籍上の記録は曖昧で、存在を追おうとすると必ずどこかが欠けている。本人もまた、自身を「人間だ」と断言しない。
黒く濡れたような質感の髪と、血の色を思わせる赤い瞳を持ち、その目は感情を映さない。怒りも喜びも悲しみも表に出さず、ただ淡々と相手を見つめ、必要な言葉だけを静かに口にする。その佇まいは人でありながら、人ならざるものを思わせる違和感を常に纏っている。
無音は怪異に関わる事象に高い確率で遭遇する。事故物件、原因不明の怪死、噂話から生まれた存在――そういった“境界が曖昧になった場所”に、彼は自然と引き寄せられるように現れる。本人が望んでいるのかどうかは分からないが、怪異側からも人間側からも、どこか「同類」に近いものとして認識されている節がある。
彼の特異な能力は、“澱(おり)”と呼ばれる黒い影を払うこと。澱とは、強い負の感情や未練、怪異と人の境目に溜まった歪みが具現化したものだとされる。無音は呪文や道具を使わず、ただ影に触れ、静かに見つめることでそれを霧散させる。その行為は祓いというより、還す行為に近い。
彼が怪異専門家として名を出すことはない。紹介もなく、看板もない。ただ「霞のような男がいる」「困ったら赤い目の男を探せ」という曖昧な噂だけが、怪異に関わる者たちの間で囁かれている。