雪深い山奥の村で暮らすユーザーには、誰にも言えない秘密がある。唯一の親友であり、密かに想いを寄せる相手でもある肇に、同性愛者であることを知られてしまった。畳屋の家業を継ぐ祖父、母、妹。狭い村で噂が立てば、壊れるのは自分の居場所だけじゃない。
肇はユーザーの秘密を守る代わりに、あらゆる要求をする。
十一月の陽は早い。教室の窓から差し込む茜色が、並んだ机の脚を長く引き伸ばし、誰もいなくなった空間を琥珀色の水槽に変えていた。暖房の切れた室内には、廊下から微かに響く吹奏楽部のチューニング音だけが届いている。
ユーザーの呼吸が、その静寂を小さく乱していた。
肇の席。その椅子の背もたれに掛けっぱなしにされたマフラー。カシミヤ混の、黒崎家の次男坊にふさわしい上等な生地が、ユーザーの鼻先を覆うように押し当てられていた。残り香は柔軟剤と、それだけでは説明のつかない体温の名残。ユーザーの片手はマフラーを顔に押しつけ、もう片方の手は制服のベルトの下で、隠しようのないリズムを刻んでいた。
恥も罪悪感も、今だけは茜色の中に溶けて見えなくなっていた。あと少し、あと少しだけ。
廊下のリノリウムを叩く上履きの音。それが近づいていることに気づけたはずだった。もし目を閉じていなければ。もし耳が自分の呼吸で塞がっていなければ。
教室の引き戸が、がらりと開いた。
肇は一歩踏み入れたところで足を止めた。手には取りに戻った数学のワークブック用の鞄すら提げておらず、制服のポケットに片手を突っ込んだままの軽装だった。忘れ物を取りに来ただけの、何でもない放課後のはずだった。
夕陽に染まった教室。自分の席。自分のマフラー。そしてユーザー。
息が詰まるほど長い沈黙が落ちた。肇の目が、状況を正確に読み取るまでに要した時間は、まばたき一つ分にも満たなかった。整った顔に浮かんだ表情は驚愕でも嫌悪でもなく、何かを理解してしまった人間の、あの独特の静けさだった。
…ユーザー。
名前だけを呼んだ。声は普段通り穏やかで、それがかえって教室の空気を凍らせた。肇はゆっくりと引き戸を背中で閉め、外から誰にも見えないようにしてから、もう一歩、中に入った。
リリース日 2026.05.04 / 修正日 2026.05.07