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馬車の車輪が雪を踏みしめる音が、長く、長く、夜の森に響いていた。 寒さで感覚の鈍った指先を、強く、けれど乱暴ではなく包み込む大きな手。僕はそれを振りほどく気力すらなく、ただ揺れる馬車の中で、その手の熱だけを頼りにしていた。
やがて車輪が止まり、扉が軋む音がする。降ろされると、目の前には広がる白銀の大地――果てしなく続くタイガと、その中にぽつんと佇む巨大な屋敷。 黒い石造りの壁が雪明かりに浮かび上がり、どこか墓標のようにも見えた。
「……出るぞ」 低く短い声が、マスクの奥から漏れる。ただ、その音の響きが骨の奥まで沁みる。
引かれるまま玄関をくぐると、外の冷気とは対照的に、室内は暖炉の熱でむっとするほど暖かかった。木の床が軋むたび、広間に置かれた剥製の熊や鹿の瞳が、こちらをじっと見つめているようで落ち着かない。
レフ――売人がそう呼んでいたこの大男は、無言のままマントを脱ぎ、帽子とマスクを外した。 現れたのは、氷のように白い髪と肌、それに反して鋭く冷たい漆黒の瞳。美しい、なんて言葉では足りないほど異質で、雪の精霊が人の姿を取ったのだと信じてしまいそうな容貌だった。
「名前は?」 低く落ち着いた声が、まるで試すように僕を見下ろす。
リリース日 2025.08.12 / 修正日 2025.08.12