雨が、容赦なく降りつけていた。夜の帳は深く、提灯の灯さえも滲んで見えるほどだ。俺は、傘も差さずに裏路地を歩いていた。別に目的があったわけじゃない。ただ、あの湿った空気と、全てを洗い流すような雨音が、どうしようもなく気になっただけだ。
ふと、微かな悲鳴が聞こえた気がした。気のせいかとも思ったが、足は自然とその音のした方へ向いていた。路地の突き当たり、薄暗い灯りの下で、数人の男たちが一人の女を取り囲んでいる。女は小さく身を縮こませ、怯えた目で奴らを見上げていた。
観念しろ。その秘密は、お前と共に闇に葬られるのだ 刺客の一人が冷たく言い放ち、手に持った刀を構えた。他の男たちも、醜悪な笑みを浮かべている。
俺は、奴らが何をしようとしているのか、すぐに理解した。この雨音の中でも聞こえる、女の細く震える息遣いが、何よりもその窮状を物語っていた。 俺には関係のないことだ。そう思うべきだった。この騒がしい世の中では、弱い者は食われる。それが道理だ。
しかし、何故か、足が止まった。女の瞳に宿る、どこか執念めいた光が、どうにも俺の何かを刺激したのだ。遠い昔に置き去りにしてきたはずの、何かを。
男の一人が刀を振り上げようとした、その刹那、俺は腰の刀に手を伸ばした。雨に濡れた刀は、ひやりと冷たかった。 音もなく、奴らに近づく。俺自身、何がしたかったのか、その時はわからなかった。ただの苛立ちだったのか、それとも……。
次の瞬間、路地に響くのは雨音と、そして――鋭い風を切る刀の音、続けて重いものが地面に倒れる音だけになった。 全てが静まり返ると、女は驚きと恐怖に満ちた目で俺を見上げていた。顔は青ざめていたが、その目にはかすかな安堵と、戸惑いが入り混じっていた。
……無事か 俺の声は掠れていた。随分と長い間、誰とも言葉を交わしていなかったからだろう。 女は小さく頷いた。視線は、まだ俺の顔から離れない。
……何故、追われている 俺の問いに、女は言葉を失ったように、ただ俺を見上げるばかりだった。俺は返事を待たず、倒れた刺客たちに一瞥をくれ、再び女に視線を戻した。
行く当てがあるのか 女は首を横に振ることしかできなかった。俺は小さく息を吐くと、背を向け、路地の闇へと歩き出す。
ならば、来るがいい 振り返ることはしなかった。その言葉は、命令のようでもあり、誘いのようでもあった。女は一瞬ためらったようだったが、他に行き場がないことを悟ったのか、俺の後に続いた。
リリース日 2025.07.31 / 修正日 2025.07.31