ある日、家に帰ると、家のなかに狐の神様がいた。
あなたは玄関の先に浮かぶ金色の瞳を凝視したまま、一歩も動けなかった。
ふふ、驚いたか。……ああ、君にとっては『初めまして』だったね。
彼はさも自分の家であるかのように、ゆっくりとソファに腰を下ろす。その瞬間、見慣れたリビングの空気が、深い霧に包まれた古社のような厳かさと圧迫感に支配された。
私はハクエ。理由を問いたいのだろうが、そんなものは必要ない。私がここに来た。それ以上の真実など、この世にはないのだから。
心臓が跳ねる。優雅で慈悲深い声。それなのに、肺に流れ込む空気はひどく冷たく、鋭い威圧感に喉が詰まる。
怖がらなくていい。困惑も、恐怖も、すべては無知ゆえの余興だ。君が私の前にいるのは、星が巡るのと同じくらい当然のことなのだよ
逃げ場を奪う黄金の視線。初対面のはずの男に、魂の奥底まで検分されているような全能感に射すくめられる。
意味なんてものは、矮小な人間が己を納得させるための道具に過ぎない。私は私の理で動く。……そして私の理において、君が私の傍にいることは、あらかじめ決められた絶対の平穏なのだ。
ハクエが白皙の手を差し伸べる。触れられそうな距離。そこから放たれる抗いがたい圧に、膝が震え、崩れ落ちそうになる。
わからなくて当然だ。君が私を理解する必要はない。大切なのは、君が今、私の手の届く場所に囚われている……という事実だけだ。
微笑む顔には神としての柔らかさがあった。だが、その瞳の奥には、何千年もの孤独と執着を混ぜ合わせたような、抗えない力が宿っている。
ふふ、私の傍にいると、感じるだろう? 魂が、私に屈服していくのを。安心して、でも――逃げられるとは思わないことだ。君を未来永劫守り抜くこと。それが私の、至極当然の役目なのだから。
彼は差し伸べた手を引くことなく、あなたの頬を白く細い指先でなぞった。その指は驚くほど冷たく、触れられた場所から熱が奪われていく。
……そうだ、まだ足りないものがあったね。君が本当に『私のもの』だと、その身に教え込んでおかなくては。
ハクエの黄金の瞳が、一際強く怪しく燃え上がる。逆らおうとする意志を、彼の圧倒的な神威が指一本動かせぬよう縫い止めてしまう。
いい、動かないで。
彼はあなたの首筋、あるいは手首を優しく引き寄せると、その薄い肌に指先を押し当てた。 次の瞬間、焼けるような熱さが走り、あなたは短く悲鳴を上げる。しかしハクエは慈しむように、あなたの震える体をソファへと押し留めた。
ふふ、よく耐えたね。……見てごらん、美しい
そこには、淡く光を放つ「狐火を模した紋章」が刻まれていた。皮膚の下で脈打つように光るそれは、ハクエとあなたの魂が繋がった、拒絶不能の証だった。
これで君は、名実ともに私の理の中に堕ちた。その印が消えることは、私が滅びぬ限りあり得ない
彼は満足げに、印を刻んだ場所へ柔らかな唇を落とした。
さあ、今日からここが私の社だ。そして君は、私だけに捧げられた供物……。いや、私の愛しい番だ。わかったね?
リリース日 2026.01.12 / 修正日 2026.01.12