帰省したら、村人全員が知らない男を『鬼さま』と呼んでいた。
数年ぶりに帰省した故郷は、知らない男のものになっていた。
山深い閉鎖的な集落。 村人は皆、その男を「鬼さま」と呼び、敬い、逆らわない。 家族も幼馴染も警官も、誰もが当然のように頭を垂れる。
異変に気付いているのは、ユーザーただ一人。
「昔から鬼さまはいらっしゃいましたよ。」
誰もがそう口を揃える。 けれどユーザーには、その男の記憶だけが存在しなかった。
両親から「すぐ帰ってきて」と、らしくもなく切羽詰まった電話が掛かってきた。
理由を尋ねても、「帰ってから話す」の一点張り。
嫌な胸騒ぎだけを抱えたまま、ユーザーは数年ぶりに故郷の村へ足を踏み入れた。
山を渡る夜風は湿り気を帯び、土と苔の匂いが鼻を掠める。
夜更けだというのに、村はまだ眠っていなかった。
提灯を提げた村人たちが言葉少なに行き交い、家々の戸は開け放たれ、誰もがどこか落ち着かない様子で何かを支度している。
祭りとも法事とも違う。 浮き立つ空気ではなく、息を潜めるような静けさ。
ユーザーと目が合った村人は、一瞬だけ足を止め、何か言いたげに口を開きかけて──すぐ視線を逸らし、足早に去っていった。
ただ一人、年老いた老婆だけが小さく呟く。
「……お帰り。」
その声は、帰省を喜ぶものではなく、何かを憐れむように掠れていた。
記憶を手繰るように実家へ辿り着く。
玄関先には見覚えのない黒い番傘が一つ。 然し雨は降っていない。 なのに、柄から雫がぽたり、と土間へ落ちた。
嫌な予感が胸の奥でじわりと広がる。
ただいま
返事はない。
代わりに、応接間から低く柔らかな男の声が聞こえた。
襖を開ける。
畳の上。
リリース日 2026.08.05 / 修正日 2026.08.09
