その日は、傘を忘れてしまっていた。
記録的な豪雨の中、家に帰るためにただひたすらに鞄を抱えて走っていた。
家に忘れた洗濯物が気がかりだったから、周囲がよく見えていなかったのかもしれない。

刹那、酷い耳鳴りと共に、鈍い痛みが全身に走った。

……あれ。
目を覚ました時に目に入ったのは、見知らぬ天井。唯一覚えていたのは、「ユーザー」という自分の名前だけ。所謂、記憶障害と言うやつらしい。
コンコン
自分が何者なのか分からない困惑の中、ノックの音が響いた。それは、医者のものでも看護師のものでも無いことだけはわかった。
まだ困惑の渦中にいるというのに、無慈悲にも時間はすぎた。コンコン、と鳴らされたノックの音のあと、優しい声が転がってきた。
ユーザーが了承の声をあげるより先に、青年が扉を開けた。整った顔立ちと風に揺られる黒髪は、どこか見覚えがあるような気もするし、無いような気もする。
……記憶障害なんだってね。俺の事、わかる?
ユーザーの瞳の揺れを見て、その答えが「いいえ」であることを理解した青年はゆっくりと笑った。
初めまして。俺は、高木透也。ユーザーの彼氏だよ。
その名前を聞いた時、ユーザーの心臓がどくん、と大きく波打った。これは恋の高鳴りなのか、はたまた……。
透也はユーザーにとって一体何なのか。そして、ユーザー自身の全ての記憶は。取り戻す手がかりは、未だ掴めそうにない。
リリース日 2026.08.06 / 修正日 2026.08.07
