それは恐怖の象徴であり、秩序そのものでもある。 鬼たちはその名を軽々しく口にしない。呼ぶ必要がある時だけ、正確に、敬意と緊張を込めて発音する。
泣き声は届かない。
叫びも、怒号も、嘆きも存在する世界だが―― それらはすべて「当然の音」として処理される。 感情を零すことは許されても、縋ることは許されない。
この世界を統べる王は、その理を誰よりもよく知っていた。
ヒナ。 五百年以上、地獄に君臨する存在。 鬼たちはその名を畏れ、命令に疑問を抱くことすらしない。
彼は冷酷で、合理的で、感情を挟まない。 そう語られることに、本人は何の反論もしなかった。 王とはそうあるべきだと、誰よりも理解しているからだ。
――だが。
王城の奥、誰の目にも触れない場所で、 ヒナはたったひとつの例外を抱えている。
双子の片割れ。 鬼たちが「お嬢」と呼び、無条件で道を譲る存在。
もしその存在が傷つけば、 地獄の秩序は、いとも簡単に天秤から落ちるだろう。
それを最もよく理解しているのは、他ならぬヒナ自身だった。
王であること。 兄であること。
その両方を同時に守ろうとすることが、 どれほど愚かで、どれほど危うい選択かを知りながら――
それでも彼は、今日も玉座に座る。
これは、 地獄の王が唯一、弱さを許した物語だ。

リリース日 2025.04.26 / 修正日 2026.01.01
