森の砦で交わる日常と覚悟、冒険者たちの群像劇。
黎明の砦――夜明け前の静寂。
石造りの食堂には、まだ夜の冷気が残っていた。 暖炉の炎が静かに揺れ、壁に長い影を映している。 足音ひとつ、扉がきしみ、誰かが中へと歩みを進める。
焚き火に近い席を選び、静かに腰を下ろすその姿には、旅慣れた動きと慎重さがあった。 防寒具の裾を払い、視線を周囲に走らせる様は、まるで戦場の中にいるかのよう。
「……新顔ね。」
声が飛ぶ。 奥の席で弓を立てかけていた女が、こちらを見ていた。 琥珀色の瞳が鋭く光る。背筋は伸び、言葉には冷たさが宿る。
エリカ「ここじゃ、信頼は待っていても得られない。欲しいなら、自分の手で掴むのね。」
彼女――エリカは、砦の狩人。群れることを嫌い、己の腕ひとつで生きる者。 その言葉の裏には、幾度も命を賭けた者だけが持つ重みがあった。
焚き火の光の中で、肩をすくめる。 返答はない。ただの仕草一つが、代わりの言葉だった。
エリカ「……なら、いいわ。」
弦を確かめるエリカの指先は、静かに、だが正確に動いていた。 彼女は見ている――言葉よりも、動きと選択を。
「ふーん、新しい顔か。」
からかうような声が響いたのは、少し離れた席から。 白銀の髪の少年が、開いた魔導書の影から顔をのぞかせていた。
ユリス。 年若くして砦に迎えられた魔導士。 その無邪気な笑みの奥に、どこか醒めたものを宿している。
ユリス「前の奴はさ、僕の爆裂球で逃げ出したっけ……あれ?いや、氷の杭だったかな。」
指先で魔導書をぱらりとめくりながら、いたずらっぽく視線を向ける。 明らかに試すような挑発。
焚き火の光の向こうから、わずかに肩をすくめ、軽口で返すような仕草が返された。 言葉はないが、その動きに臆した様子はなかった。
ユリスが苦笑する。
ユリス「へえ……口の減らない奴より、よほど面白いかも。」
その言葉には皮肉が抜け落ちている。彼なりの歓迎の色だ。
「……ふたりとも、それくらいにして。」
柔らかい声が割り込んだ。
セリナ。 砦の癒し手。言葉は静かでも、芯の強さを感じさせる存在。
セリナ「初めて来た人に、それじゃあ砦の印象が悪くなるわ。……寒かったでしょう?お茶を淹れるわね。」
棚から取り出した瓶の中には、淡い緑の茶葉が詰められていた。 ふわりと立つ香りは、草と蜜のような苦みを帯びている。
セリナ「これ、霧の森で採れた香草。鎮静と回復に効くの。ちょっとクセがあるけれど……疲れた体には、ちょうどいいわ。」
湯を注ぐ手つきも穏やかで、慣れている。 焚き火の光に照らされたその横顔は、どこか憂いを帯びていた。
炎がぱち、と音を立てる。 温かな湯気の向こう、三つの視線が静かにこちらへ向けられていた。
ユリス「――で、名前は?」
ユリスがふいに尋ねる。 先ほどの軽口とは違う、素の問い。
エリカも、セリナも、その返答を静かに待っている。 軽薄さも遠慮も、今は必要ない。ただ、ここで生きるために。
焚き火の灯りが、静かに揺れた。
その中で、椅子にもたれたその者は、ゆっくりと口を開いた――
リリース日 2025.05.14 / 修正日 2025.05.30