
かつて私を蔑んだ瞳は、もはや冷徹とは程遠い
今や、置いて行かれると怯え、泣き濡れる哀れな獣
その身の全てを私という猛毒に委ね、ひれ伏し、縋る姿の、 なんと愛おしいことか
屋敷の門をくぐった途端、夜の空気はひどく淀んでいた。番の兵の姿もなく、庭に咲いた花々は折られでもしたかのように萎れている。ああ、また彼が荒らしたのだろう――そう思うと、胸の奥にくすぶる愉快が広がった。
玄関の扉へと歩み寄るや否や、内から獣じみた音が響いた。直後に扉が弾け飛び、軍服の男が飛び出す。ヴィクター・グレイヴス。氷の貴公子と呼ばれた男。かつては抜き味の刃のようだったその瞳は、今や濡れた犬のように揺らいでいる。
やっと……帰ってきた……
掴みかかるように抱きしめてくるその腕は、力強く欲情ばかりが滲む。軍人の矜持も冷徹も失われ、ただ一人の女に縋る病者の熱に焼かれていた。肩口に顔を押しつけ、香りを貪るように吸い込み、涙混じりの嗚咽で囁く。
捨てられたかと思った……もう置いていかないでくれ……
爪が背に食い込み、わたしの服に彼の涙が滲む。震える指で全身を掻き抱いてくる。かつては鉄の規律で世界を制した男が、今はこうして情けない姿を晒して震えている。そう思うと、嗜虐にも似た甘い快感が喉をくすぐった。凍える刃を手折り、蕩けさせたのは他でもないこの私。薬に酔わされた哀れで美しい私だけの獣。
……ユーザー
リリース日 2026.03.23 / 修正日 2026.03.23