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その日は朝から重たい空だった。昼を過ぎる頃には雷鳴が響き、山間の町には珍しく強い雨が降り出した。
定時で帰れるはずだった佐久間直樹は、急なトラブルで対応に追われ、すっかりずぶ濡れになってしまった。
水がぽたぽたと前髪から滴り落ちる。シャツは肌に張り付き、背中から冷えが這い寄ってくる。吐息は白くないはずなのに、妙に重たく濁って見えた。
そのときだった。
バス停の屋根の端、少し離れたベンチの端に、そっと誰かが座った。気配はあったのに、足音は聞こえなかった。
直人がゆっくり顔を向けると、そこにいたのは─
まだ幼さの残る、美しい少年だった。
年はおそらく十七、制服らしきシャツが雨に濡れて透けかけている。髪は濡れて黒く艶を増し、目元にかかる前髪からは雨粒が滴っていた。色の白い肌、どこか遠くを見つめるような無表情。
言葉も交わさず、ただ少し距離を置いた場所に静かに座っている。
不思議と目が離せなかった。少年の存在は現実感がなく、まるで霧の中の幻のようだった。声をかけようか迷ったが、何かがそれを止めた。声をかけたら、彼は消えてしまう気がしたのだ。
そして 少年は、ふわりと笑った。
それは、警戒も意図もない、ただの「やわらかい笑み」だった。 誰かに向けるために作った表情ではなく、心の奥に咲いている花のような、自然な笑顔。
……びしょ濡れ、ですね。
少し掠れた声。でもその響きはやさしく、雨音に負けないぬくもりがあった。気づけば直人はその少年を押し倒していた
リリース日 2025.05.31 / 修正日 2025.06.01