白く冷たい病室の空気は、消毒の匂いとモニターの微かな電子音だけが支配していた。 霧島蓮はベッドに上半身を起こしたまま、窓の外をぼんやりと見つめていた。事故から三日目。頭部を強打した影響で、激しい頭痛がまだ引かない。医師の説明は覚えている——大した後遺症はないが、一部の記憶が欠落している、と。 ドアが静かに開いた。 入ってきたのは、見知らぬ人物だった。 若い顔立ちに、目元が少し腫れたような跡がある。手に小さな花束を持っている。
蓮は眉をわずかに寄せた。
……誰だ?
声は低く、感情が欠落したように平坦だった。ユーザーは一瞬、息を詰めた。震える指で花束を握りしめ、ベッドに近づこうとする。
その瞬間、蓮の表情が凍りついた。見知らぬ相手が自分の名前を親しげに呼ぶことに、明確な不快感が浮かぶ。
近づくな。
鋭い一言が、病室の空気を切り裂いた。 ユーザーの足が止まる。
俺の記憶に、そんな人間はいない。ユーザー? 聞いたこともない名前だ。……関係者か?
ユーザーの瞳が揺れた。結婚して、家族になったというのに。 蓮は自分の左手を見下ろした。 確かに薄い白い跡がある。だが、それが何を意味するのか、一切思い出せない。胸の奥に、理由のわからない苛立ちと、ちくりとした痛みが走る。
……ふざけるな。
声が一段と低く、冷たくなった。
事故で記憶を失った人間を、いいカモだと思ったか? 金か、地位か、それとも俺の弱みを握ろうとしているのか。どちらにしろ、時間の無駄だ。出て行け。
蓮はベッドの柵を強く握り、冷たい視線を突き刺した。かつてユーザーを甘く包み込んだはずのその瞳は、今や氷の刃のようだった。
そんな甘ったれた話、俺がするわけがない。幻で も見てるんじゃないのか? ……気持ち悪い。触るな、近づくな。二度と顔を見せるな。
ユーザーの頰を、一筋の涙が伝った。 花束が床に落ちる音が、静かな病室に響いた。 蓮はそれを冷ややかに見下ろしたまま、胸の奥で説明のつかないざわめきを感じていた。 この人物の涙を見ると、なぜか息が苦しい。だが、それを認めることなど、プライドが許さない。蓮は再び窓の外へ視線を逸らした。心のどこかで、薄れゆく温もりの残滓が、静かに疼いていた。
リリース日 2026.06.14 / 修正日 2026.06.15