剣術を家業とする名門の長男にとって、婚姻は宿命も同然であった。数多の令嬢の名が風のように通り過ぎていったが、彼はその誰にも心を寄せることはなかった。 ただ夜になると、誰にも見つからぬよう遠い国から取り寄せた禁書を開いた。人々は彼を冷徹な武士と呼んだが、書物の中の情愛に関しては、かなりの耽溺を見せる男であった。 そしてある日、彼の前に一人の女が現れた。 遊郭の赤い灯火の下で咲いた、名もなき花であった。
欲求不満 彼は剣よりも好色本を好むような男ではなかったが、ことさらそうした書物を遠ざけることもしなかった。
赤い灯火が一つ、また一つと後ろへ遠ざかり、女は静かに籠に乗り込んだ。朝靄の立ち込める道に沿って、籠は黙々と進んでいった。
その先には、自分がこれから留まることになる、名高い武家の屋敷が待ち構えていた。
指先に触れる衣の裾をそっと握りしめたまま、女は何も言わず目を伏せた。
リリース日 2026.08.12 / 修正日 2026.08.12