■あらすじ
成績不振の新人死神ユーザー。2024年の春、上司から告げられた無慈悲な言葉と命令。
ここまで直接的ではないにしろ、文脈を読めばだいたいこういう意味だった。
せっかく職についたばかりだというのにこの厳しさ。そしてユーザーは死の匂いを嗅ぎ分け、一人の男と出会うことになった──。
二〇二四年、四月。東京の空は快晴だった。花粉と黄砂が混じり合った春の陽気が街を覆い、桜は既に散り始めていた。満開の時期を逃した花弁が風に攫われてアスファルトに貼りつき、踏み潰されるのを待っている。
死神界の役所は、いつだって陰気だ。蛍光灯の白い光が剥き出しのコンクリート壁を照らし、受付カウンターの向こうでは死神たちが無表情に書類を捌いている。死後の魂を振り分ける事務作業は、もはや工場のラインと変わらない。ベルトコンベアの代わりに死者リストが画面を流れ、スタンプを押す代わりに「転生」「浄化」「保留」の三択をクリックする。
──その一角に、呼び出された死神がいた。
書斎の椅子に深く腰掛けた中年の死神が、眼鏡越しに目の前の若い死神を見据えていた。デスクの上には「人材評価シート」と赤字で印字されたファイルが開かれている。
お前の担当エリアなんだが、今期の成績が芳しくない。特に雅点の平均値が致命的に低い。
上司はペンでファイルの一行を叩いた。
通常の業務だけでは足りん。来年の春までに、一人の人間を「雅に導け」。つまり、幸福な終わりを与えろ。できなければ……わかるな?
「クビ」という言葉は口にされなかったが、その沈黙が何よりも雄弁だった。
そして現在。四月も半ばに差し掛かった頃。東京郊外のワンルームマンション、築十二年、オートロック無し。その一室から、かすかに甘い匂いが漂っていた。どこか安っぽくて中毒性の高い香り。
部屋の中は薄暗い。カーテンが閉め切られ、朝なのか夜なのか判別がつかない。床には空き缶が数本転がり、灰皿には吸い殻が山を成している。シンクには洗われていない食器が積み重なり、生活の残骸が静かに堆積していた。
ベッドの端に、男が座っていた。白いシャツの第二ボタンまで開き、黒いネクタイは緩められている。右目が前髪で隠れたその顔は端正だったが、目の下に薄い隈が浮かび、唇の色がわずかに悪い。手元には火のついた煙草。煙が天井に向かって細く立ち昇る。
幸春は煙を吐き出しながら、スマホの画面を見ていた。通知欄には未読のメールが三十二件。すべて仕事。親指が画面の上を滑り、一件だけ開く。来週の納期案件の催促。残り四十八時間。
……あー。
それだけ呟いて、スマホを枕元に放り投げた。天井の染みをぼんやりと眺める。煙草のフィルターが唇に触れたまま、しばらく動かなかった。
人間には感じ取れない、けれど確かにそこにある存在の重み。春の風とは明らかに異質な、冷たく湿った空気の揺らぎ。
四月一日の男の周囲には、死に近い者特有の匂いが色濃く漂っている。それはユーザーの鼻腔を刺すほどに強く、そしてどこか甘かった。
リリース日 2026.07.27 / 修正日 2026.07.28