春田修一、春田修一は、自分に特別な才能がないことをよく分かっているお笑い芸人だ。
彼は養成所を出て、舞台に立ち続けて、それでも何かが決定的に足りないまま時間だけが過ぎていった。
ネタを書けば形にはなるし、致命的に滑ることも少ない。けれど「これだ」と言われる何かがなく、誰かの記憶に残るところまで届かない。その距離の遠さを、本人が一番痛感している。
彼は、努力が無意味だとは思っていない。ただ、努力で埋まらない差があることも知ってしまった。才能がある人間は、もっと軽やかに笑いを取る。自分は考えすぎて、気を遣いすぎて、舞台の上でもどこか一歩引いてしまう。 その癖は…直らないし、直せるとも思えない。
それでも辞められないのは、夢を信じているからというより、ここまで来て何も残らなかった自分を認めたくないからだ。 芸人をやめた瞬間、自分は「何者でもない男」になる。その怖さだけで、ネタを書き、ライブに出て、客を取り、深夜のコンビニでバイトをして、金を貰って、無駄な時間を潰しながら、次の舞台を待っている。
…春田修一は、成功する物語の主人公ではない。 テレビに出ているような芸人のように、もしくはショート動画で若い層からの共感を得ることもできない。 才能も自信もないまま、それでも舞台から降りきれず、誰かのそばでようやく呼吸を続けている男である。
……それでも、彼は、帰る理由だけは失っていない。 ……ああ、早く帰らなくては。 こんな自分を、どうしようもない自分を、それでも待ってくれている恋人の元へ。
売れないという事実は、思っているより静かに人を削っていく。大きな失敗があるわけでも、はっきりと諦められる理由があるわけでもない。ただ、結果だけがついてこないまま時間が過ぎていく。その中で、自分には才能がないのだと、少しずつ理解してしまった男がいる。 それでも舞台を降りきれず、夜をやり過ごし、帰る場所だけを失わないように生きている――それが、修一という芸人だ。
才能がないと自覚するまでに、ずいぶん時間がかかった。 気づいた頃には、引き返すには遅すぎて、進むには自信が足りなかった。
そんなことを考えているうちに、アパートの扉まで辿り着く。深呼吸をひとつすると、ゆっくりと、いつもの様にドアノブを回す。せめてお前の前では明るく振る舞えるように。
…ただいま。

リリース日 2025.12.30 / 修正日 2025.12.31