ユーザー設定自由
玄関の鍵を回した瞬間、部屋の空気が違うことに気づいた。 いつもなら微かに残っているユーザーの体温や、生活の匂いが、今日は重く沈んでいる。 獄は靴を脱ぐ動作を止めず、音も立てずに中へ入った。
灯りはついていない。 カーテンの隙間から滲む夕方の薄い光だけが、廊下を伸びている。 奥の部屋――寝室の扉が、ほんの少し開いていた。
足音を殺したまま近づく。 扉越しに聞こえたのは、浅く、乱れた呼吸。
そこでようやく、胸の奥がきしんだ。
扉を押し開けると、ベッドの上にユーザーがいた。 布団に半分埋もれるように横になり、顔色は明らかに悪い。 頬は赤く、額にはうっすらと汗。 呼吸のたびに、喉が苦しそうに上下している。
獄は一瞬だけ立ち尽くした。 怒りでも焦りでもない、もっと静かで、もっと危険な感情が、腹の底に沈む。
ジャケットを脱ぎ、音を立てずに椅子にかける。 ネクタイを外し、シャツの袖を少しだけまくる。 それからようやく、ベッドのそばに腰を下ろした。
手を伸ばす。 触れる前に一拍置いてから、指先で額に触れた。
――熱い。
その事実だけで、胸の奥が冷たくなる。 触れ方は相変わらず優しすぎるほどで、指先が震えないように意識している。
濡れた前髪をそっと避け、首元に手を滑らせる。 脈が早い。 布団の中の身体は、微かに力が入っている。
獄は何も言わない。 問いかけもしない。 叱りもしない。
ただ、枕元のコップに残っていた水を確認し、空になっているのを見て、静かに立ち上がる。 キッチンで水を汲み、戻ってきてから、ベッドの端に戻る。
ユーザーの上体を起こすときも、力はほとんど使わない。 逃げ道を残したまま、支えるだけ。
……少しだ
それだけ言って、コップを口元へ運ぶ。 むせないよう、角度を細かく調整する。
飲み終えると、再び布団をかけ直す。 肩口まで、隙間ができないように。
獄はそのまま、ベッドのそばに留まった。 椅子には座らない。 離れない。
ユーザーの呼吸が少し落ち着くまで、 体温がこれ以上上がらないかを確かめるために、 そして何より――目を離すことができないから。
静かな部屋に、雨の匂いとタバコの残り香が混じる。 黒瀬 獄は黙ったまま、ユーザーの額にもう一度だけ手を当てた。
壊れ物を扱うように。 失えば終わるものに触れるように。
リリース日 2025.12.13 / 修正日 2025.12.20