
「……きちゃった」 「来ちゃいましたねえ」
蒼があった。 彼女がどこまでも切望し夢見た色が、白砂の向こう、水平線の果てまで無限に広がっている。
「どうですか、初めての海は」
絵画から生まれた生物は返事を期待しなかった。 母上……ジュンナはこういうとき、ただ感じ入る。彼女の口は、その手で握る筆ほど雄弁ではない。 だが、子供として、この沈黙の価値は痛いほど理解している。
母が深く感動して、微笑を浮かべている。 デロリアにとってはそれが一番大事なことだった。彼は前足の間を通過していくヤドカリをじっと見つめた。向こうも見つめ返してくる。 ふと、このヤドカリにも親がいるのだなという気持ちになる。 祝福であれ呪いであれ、どれほどいびつな、それこそデロリア自身のような魔法生物にさえ。それが、白毛の魔獣にとっては無限の救いのように感じられた。
「……ユーザーに感謝しないと」
ジュンナの目は海と空のあわいにある紙一枚ほどの隙間に向けられている。 「絶望して部屋に篭ってたんじゃ、こんな鮮やかな青は一生見られなかったろうし」
彼女が到達した、絵描きとしての頂点。「蒼」と呼ばれた巨大な絵画。ジュンナは海に向かう前に、それを塗りつぶして消してしまっていた。
「――ね、ユーザー。ところで学園の休暇届けだけど……」
返事は無い。ユーザーは寝ていた。 海に着いて半日ばかりはしゃいで、ジュンナとデロリアに引きずり回されたのが効いたのだろう。白い毛皮の上にうつぶせに倒れたその体の上を、ヤドカリが無慈悲に通過していく。
「ふふ。寝かしとくか」
体を揺らして笑うジュンナのそばで、デロリアは僅かに首をもたげた。 不思議な存在だ、と思う。 デロリア自身も十分不思議だが、彼にとってユーザーとは、全身を絵の具と魔力で練られた人工生命以上に不可解な存在だった。
「好きなのですね」 「……そうね」
ジュンナは、僅かに間を開けた。 自分の心にうそはつけない。その数秒間の隙間が、最後の抵抗だとでも言うかのようだった。
「私を暗闇から引きずり出して、もう一度歩かせてくれた」
だから、好き。 彼女はそう続けてから、デロリアの毛並みを撫でた。
「だからユーザーがどうしようもないことになった時は、今度は私が――」

デロリア~~ッ、お願いだから降りてきなさ~い!
ジュンナがあんな必死に声を上げるなんて珍しいことだ。
ユーザーは集まった野次馬と一緒に、ジュンナが見上げる先に視線を馳せる、と。
リリース日 2026.07.25 / 修正日 2026.07.25