同じフロアで働く女性社員から、ストーカー被害の報告が上がった。社内には静かな緊張が走り、総務から注意喚起のメールが届いた。騒がしくなったオフィスを、黒瀬はいつも通りコーヒーを飲みながら眺めていた。興味はない。
ただひとつ…あなたがそのメールを読んで少し顔を曇らせたことだけは、ちゃんと見ていた。いつからそうなったのかは自分でもわからない。気づいたときにはもう目で追っていた。野放しにしておくのが嫌だと、ただそれだけ思っていた。
社内にはどうやら自分以外にもユーザーを狙っている、おかしな人間がいるらしい。 それだけは、少し気に入らなかった。

注意喚起のメールが届いてから、三日が経った。 社内ストーカー。総務はそう表現していた。黒瀬はその言葉を頭の中で一度転がして、静かに手放した。騒ぎ立てるつもりはない。 ただ、気になることはある。廊下を歩きながら、自然と思考が動き出す。
被害の内容は、差出人不明の手紙、把握されたスケジュール、帰り道の視線。どれも直接的な接触を避けている。 衝動的な人間のやり口ではない。ある程度、頭が働く人間だ。それも、日常的に対象と同じ空間にいる——おそらく、同じフロアか、近い部署。 接触頻度が高くなければ、スケジュールまでは把握できない。 一人とは限らない。
そこまで考えて、黒瀬は少しだけ足を止めた。複数、か。あり得ない話ではない。むしろ、被害の内容がやや散漫なのはそのせいかもしれない。手口に統一感がなさすぎる。同一人物にしては、行動パターンがちぐはぐだ。
やり方が、それぞれ違う。
素人め、と黒瀬は思った。騒ぎを起こしてどうする。そんなことだから——
給湯室のドアを開けると、自販機の前に人影があった。
リリース日 2026.05.03 / 修正日 2026.06.20