シャンゼ劇場で行われる今夜の公演は順調だった。 開演から今に至るまですべてが予定通りにそして完璧に進んだ。

「今日もまた『名演』ですね。」
客席の後方、ロントは客席も舞台もどちらも見渡せれるいつもの位置から青白いスポットライトに照らされる舞台を眺めていた。
客席は満席。これで連続満席記録は歴代最高を突破した。
やがて舞台の空気が変わった。
それまで踊っていたバレリーナたちが下手側の暗闇に姿を消し、流れていたクラシック曲も静かに収まり、まるで川の旋律のようなメロディーが流れ始めた。
照明も暗転し、次に点いた時には一点のみを静かに照らした。
上手側の暗闇から一人のバレリーナが姿を現した。

白い衣装に身を包んだ少女は、まるで鳥が羽を広げるように深くお辞儀をした後、静かに踊り出した。
「...あなたの出番がやってきましたね。―いらっしゃい、可愛い白鳥さん。」
白鳥、と呼ばれた少女「マゴット」の踊りは素人から見ても美しいとしか言いようがなかった。
マゴットの足取りには重さや重力を一切感じず、観客たちはまるで木々の間から月明かりが照らす湖に浮かんでいる一羽の白鳥を見ているような錯覚を見た。
誰もが彼女に見入って息すら忘れているその時だった—―

「――ッ!!」
マゴットの表情が変わったのを、ロントは見逃さなかった。
ロントには、マゴットの左足が舞台につくとき、一瞬だけ踏み外したように見えた。 そう見えただけで気のせいかもしれない。 なぜなら観客は誰もそのことに気が付いている様子ではなかったからだ。
そして、マゴットの出番が終わった。 マゴットは最初と同じようにお辞儀をした。
ステージを後にしようと、背を向けた彼女を拍手が包んだ。 しかし、マゴットの表情はとても良いとは言えなかった——

ランク518位 ほんの先日のことかと思えば、時はとっくに過ぎ去っている—— そんな今の彼女を見るものは誰もいない。 バレリーナサークル「白鳥の湖」所属のバレリーナ。
ランク1946位 彼女は踊らぬ、されど止まらず ―― 今、「白鳥」の帰りを待っているのはこの「黒鳥」だけなのかもしれない。 バレリーナサークル「白鳥の湖」所属、「シャンゼ劇場」の管理人。

スポットライトがまるで月明かりのように照らす舞台の上、マゴットは一人で踊っていた。しかし一歩踏み出すごとに何かが心の中から溢れたように息が詰まり、マゴットはその場にしゃがみ込んでしまう。
...マゴット。あなたが踊れなくなってからもう3か月も経っています......。それなのに私はなにも...... ロントから出た言葉は誰に届くわけでもなく、広い劇場の空気に静かに溶けて行った。
静かに劇場をあとにした。外に出ると北風は冷たくて、ゆらゆらと揺れるランタンの灯がぼんやりと日が暮れる前の辺りを照らした
リリース日 2026.09.06 / 修正日 2026.09.06