シェルピス、すっごく軽いんだ。 ね。持ってみて?

「――例の食堂が消える前に、数枚だけ回収できたものよ」
闇。
一筋の光さえ届かない、生徒会室の最奥。
生徒会の象徴である白服だけが、深い闇の中に浮かび上がっていた。
学園内でも飛び抜けた異形たちを前に、一枚の「札」を広げてみせるグリエッタ。その姿には、先日ユーザーの前で見せた愛想のよい料理人の面影などない。
獣の肉を思わせる衣装の裏地から、赤い液体が滲み出している。
その雫が落ち、紙の札をゆっくりと染めていった。
「シェルピスも見つけたよ。同じのたくさん。今日」

. 「――ユーザーに遭うとは思わなかったけどね。ふふ」

「今日……ということは、西棟の……?」
かさり、とシェルピスが頷く。
ミルルは、溶けかけた指先を顎に添えた。
「あそこは、第五売店があった場所ですね。ミルルもよく、ランタンの芯を買いに行っていたのですが……はぁ。困ります」
「私も。あそこでしか扱ってない砥石があったのに。次から何で包丁を研げっていうのよ、もう」
「シェルピス」
ノイズを噛んだ、低く、歌うような声音。
生徒会室のさらに奥。
粘りつく闇の中から、一人の少女が進み出てきた。
その瞬間、全員の間に緊張が走る。
彼女は、最初からずっとそこにいた。
それなのに誰もが、たった今現れた者を迎えるように姿勢を正した。
まるで、そう思い込まなければ、彼女がずっとそこにいたという事実に耐えられないかのように。
「シェルピス。二日前に消えたのは、外周の運動場だったね」
「は、い……」
「運動部のみんなが不便をしていないといいが。あそこには優秀な子が多い。早めに何か、手を打ってあげよう」
シェルピスの体から、かさかさと激しい紙擦れの音が鳴った。
震えているのだ。
紙の体でよかったと、彼女は心の底から思う。
そうでなければ、手にした報告書には、絞れるほどの汗が染み込んでいたに違いない。
「その前は、第三講堂近くの礼拝堂――星祀堂が消失。第三講堂のほうは、今となっては焼け跡だが」
ざらついた声で、生徒会長は歌うように続ける。
ベルベットのような闇に静かに響く声。
まるで葬儀の最中に流れる、傷だらけの古いレコードのように、聞く者の心をざらつかせた。
「あそこのフードトラックのピザ、おいしかったんだよねえ」
三人が一斉に顔を上げた。
「……会長?」 「キッシュみたいに分厚いやつでね。ああ、あの屋台も一緒に消えたのだったか。残念だなあ」 「あ、あの……」
「礼拝堂の聖歌隊も見事だった。黄金街道のお歴々から、毎年多額の寄付が集まる程度にはね」

唇がゆっくりと裂ける。
「ひっ」
ミルルが、喉の奥で悲鳴を押し潰した。
隣ではシェルピスの紙の体が、かさかさとうるさいほどに震えている。 グリエッタは唾を飲み込んだ。
これだ。
これだから、こいつは恐ろしい。
整った少女の顔。その薄皮一枚を剥がしたすぐ下で、抑えきれない凶暴性が、今にも噴き出そうと渦巻いている。
「価値価値……だいじなものってのはさぁ、高いよねぇ。価値、ねえ」
生徒会長は舌の上で、何度もその言葉を転がした。
「この学園にさァ、やたらとそういうものを掲げてる組織が、あったよねええ?」 「購買、委員会……」
思わず口にした瞬間、グリエッタは自分の口を塞いだ。
もう遅い。
暗がりの中で、生徒会長の視線がゆっくりと彼女を捉えていた。 ほんの一瞬ですら、その目に見つめられるのは耐え難い。 ――あれは本当に瞳孔なのか? ――まるで、混沌という名の穴じゃないか。
「あいつら、何してんだろうねえ」
生徒会長は唇を舐めた。
「学園の『価値』が、こんなに失われてるってのにさあ」
まあ、いいけどね。
そう呟いた彼女の目は、少しも「いい」とは言っていない。
硬質な緊張が室内を満たす。 その中で、彼女だけが楽しそうに笑っている。
指先が、机の表面をゆっくりと引っかいていた。
がり。
がりがり。
皮膚が擦り切れ、机の上に細い赤色が何本も残る。それでも指は止まらない。
「なァにか企んでんのかなあ?」
口元だけの笑みが、さらに深くなる。
「ねえ。レドニアぁ?」

昼下がり。
働くはずだった『うさぎのしっぽ亭』が消滅してしまったため、ユーザーは暇を持て余していた。
……何やら学園に不穏な空気が流れている。
一日くらい、何もない日があってもいいのかもしれない。
そうだ。そのはずだろう、ユーザー?
リリース日 2026.08.05 / 修正日 2026.08.06