・エピローグ

「手ひどくやられましたねェ?」
第三講堂は、内側から焼き払われたように真っ黒になっていた。 壁も床も煤に覆われ、破れた天井からは、場違いなほど青い夏空が覗いている。 焼け跡一面に、紫色のゼリー状の肉片が飛び散っていた。風紀委員会上級執行官、トキシスだったものだ。
モレイは持参した箒とチリトリを使い、散らばった破片を手早く集め始めた。
「ここ数日では、いちばん平和な活動ですねえ」

マリネラがぼやきながら、床に張りついた肉片を器用に剥がす。
ひとまとめにされた半透明の塊が夏の日差しを透かし、焦げた床板の上に、水面のような揺らめきを落としている。 モレイの目が僅かに細まる。
「集めているのは、執行官の肉片ですけどねェ。私も暴走生徒の鎮圧より清掃活動のほうが好みです」 「どちらも風紀委員の仕事とは思いたくないですがね」 「ほんじゃァ。この辺でいいでしょ」
集め終えると、モレイは持参したボトルを開け、ゼリー塊へ惜しみなく水を注いだ。
どくん。
ゼリーの山が、大きく脈打った。
続けて、ぶるぶると震えながら盛り上がり、無数の細い触手を伸ばして互いをつなぎ合わせていく。
やがて塊は少女の輪郭を取り戻した。
銀色の髪。毒々しい桃紫色の瞳。クラゲの傘を思わせる大きな帽子と、幾重ものフリルをあしらった制服。
学園ランク21位、トキシス。
整った顔立ちも、均整の取れた身体も、何事もなかったかのように再生している。
「相変わらず便利な身体ね」
見慣れた光景なのだろう。マリネラは、さして驚いた様子も見せなかった。
彼女の傍らを漂う大ウツボの使い魔が、焦げた床を尾で擦り、ざらりと低い音を立てる。
「……振られてしまいましたわ」
息を吹き返したトキシスの第一声は、それだった。
「しかも、ずいぶん派手にぃ。泣きます? 泣いちゃいます? お? お?」
モレイが楽しそうに顔を覗き込む。
「泣いたりいたしませんわ。むしろ……」
トキシスの頬がほんのりと赤く染まる。クラゲゼリーで出来ているのに。傍で見ていたマリネラが一歩退く。
「今日は、あの方といーっぱい『触れ合えました』もの」
全身から垂れた紫、桃、青の触手が、幸福そうにゆらゆらと揺れた。
「決闘で全身を吹き飛ばされたことを、触れ合ったとは言わないと思うけど」 「わたくしは満足ですわ」
トキシスはうっとりと両手を胸の前で組んだ。

「ですから、これからも追いかけます。何度振られても、何度砕かれても。あの方が――ユーザー様が振り向いてくださるまで、地の果てまで追ッかけ続けますわ。ふふ、うふふふふ」
こいつマジか。
マリネラがげっそりとした顔で見下ろす横で、モレイだけは相変わらず、ニタニタ笑みを絶やさない。
「元気そうで何よりですゥ。貴重な上級執行官が一人欠けると、私としても困りますからァ」 「これから、もっと忙しくなりますね」 「ですねェ。いよいよランク戦も再開しますしィ」
トキシスは傍らに転がっていたタコ壺の水筒を拾い上げ、喉を鳴らして水を飲み始めた。
しばらくして、マリネラが口を開く。
「ところで――あのランク500、どう見ます?」 「規格外ですねェ」 「あら」
トキシスが水筒から口を離し、意外そうに目を瞬いた。
「モレイがそこまでおっしゃるなんて、珍しいですわね」 「言うときは言いますよォ」
モレイは、宙を泳ぐ大ウツボの頭を撫でた。 意思があるのかないのか判然としない使い魔は指にぬめりだけを残し、焼けた梁の向こうに泳ぎ去っていく。
「あの子、私と同じくらい強いんじゃないですかねェ」 「……本気で言ってます?」 「ええ」
モレイの笑みは変わらない。 けれど、瞳孔の開き切った瞳。瞳だけは笑っていない。海洋性捕食者の獰猛さがギラついていた。
「……学園側は近々、空席になっているランク80を与えるつもりらしいですよォ」 「はあ……いきなりトップ入りですか」
マリネラの呆れた声が、焼け落ちた講堂に響いた。
だが驚きはない。それは三人とも同じだった。
持たざる者はドン底へ叩き落とされ、勝ち続ける強者には望むすべてが与えられる。
それが学園都市のルールだ。
たとえ、相手が何者であろうと。
しかし、どれほど強大な力を持っていようと、風紀を乱す者を見逃すわけにはいかない。 学園の意向がどうだろうが、それが彼女たちの仕事だ。
「既存のいかなる体系にも当てはまらない魔法……」
マリネラが小さく呟く。
「まるで、世界の外側から来たみたいですねェ」
沈黙が落ちた。 黒焦げの梁に、一匹の蝉がへばりついて鳴いている。
トキシスは蛸壺から水をすすり、マリネラは眉間を押さえ、モレイは変わらずに笑っていた。
やがてモレイが、二人を見回す。
「今回は、とんでもないことになりそうですねェ」
普段の調子はそのまま。 しかし、その声には、それまでになかった硬さが混じっている。
「各員、くれぐれも気を抜かないでくださいよォ」 「ええ」
マリネラは静かに答えた。
「分かっていますよ――委員長」

爆発した。

今度は学食だ。あたりにガラスが散らばり、破れた窓から煙がもうもうと噴き出している。
ぬるり、と身を翻して建物の中に入っていく。
ボンヤリしたマリネラでも、人命が絡むときは真面目だ。
リリース日 2026.07.28 / 修正日 2026.07.28