#・エピローグ 「――――そんなすげえの。『蒼』ってのは」 「うん」

器物損壊、往来妨害、公務執行妨害。おまけに深夜の騒音その他諸々―― いろいろあったが、シアンの説教は、げんこつ一発で終わった。
「すごいよ、ジュンナはね」
頭にタコヤキ大のたんこぶをこさえたメラートが、やはり無表情で口を開いた。
「ジュンナは……ボクら美術部の部長はね、神様みたいな集中力と、悪魔みたいな才能で、アレを描いたんだ」
描いちゃった、と言うべきかな。 メラートはこぶをさすりながら、付け加えた。
ユーザーはベンチのそばに立ち、黙って話を聞いていた。
学園最高の傑作。 だがそれを描いても、ジュンナは幸せになれなかった。 彼女は燃え尽き、絵画は暴走した。その顛末を語るには、残された夜はあまりに短かった。
「はじめて『蒼』を見たとき、ボク、思ったんだ。この人には絶対勝てないって」
メラートは膝の上へ視線を落とした。
「たとえボクが、自分の才能を一生分削り出して、キャンバスに叩きつけても。あそこまでのものは……誰かの心を壊してしまうようなモノは、創れない。分かっちゃったんだ」
その指先は、話している間もスプレーガンを弄んでいた。 握り直しては、親指で塗料のこびりついたところを擦る。手慣れた動きだけが、途切れずに続いている。
「ほーん」
シアンは軽い調子で返した。
「俺にゃゲージュツなんてモン分からんが――」

「悪かねえと思うよ。お前の」 「……そう、かな」
メラートの指が止まった。
三人は、そこにある桜を見上げた。 幹を、枝を、幾重もの極彩色が走っている。街燈の光を受けた断層は、見る角度が少し変わるだけで、別の色を覗かせた。 その枝先で、淡い桃色の花が揺れていた。
メラートは何も言わなかった。 シアンも、それ以上は付け加えなかった。
花弁が降っていた。 スプレーガンを握るメラートの手にも、ひとひら。
彼女はそれを払い落とさず、しばらく桜を見上げていた。
「さ。もうそろそろ夜が明けちまう。どこ住んでんだ?」 「下層に……アトリエを借りて」 「ガキの補導はサツの仕事だ。送ってってやるよ。テメエが『作品』にしくさったクルマでな」 「だから、それは悪いって言ってるじゃんか……」
ぼやくメラートの襟首を掴み、シアンが立ち上がりかける。
そのとき、シアンのポケットで鋭い着信音が鳴った。
「――あ?」

襟首から手を離し、スマホを取り出す。 画面を一瞥して耳に当てた、その顔から、薄い笑みが消えた。
「ンだ? 下層で暴動? ……場所は」
短い沈黙。 シアンの目が、広場の向こうの鉄柵へ向いた。
「わかった。五分待て」
通話を切る。 ベンチに置いていた飲みかけのビール缶を掴み、ゴミ箱へ放った。 缶は縁にも触れず、乾いた音を立てて収まった。
「……聞いてのとおりだ。残業は嫌いなんだが、この仕事のキツいとこだぜ」
口調は変わらない。 けれど、もう足は動いていた。
「メラートのことはお前に頼む」
ユーザーに言い残し、シアンは鉄柵をひょいと乗り越えた。
その先は吹き抜け。 命さえ惜しまなければ、今いる四層から下層まで直通だ。
シアンはためらいもなく、その下へ消えた。
「あのシアンって人……いつもあんな感じなの?」
珍しく呆れた様子で、メラートがユーザーに顔を向けた。
――ドパァン。
遥か下方で、コンクリートが悲鳴を上げた。

「多少荒っぽくなったけど……到着した」

「ユーザーを始末する。予定通りに」
ランク42位 美術部所属のスプレーアーティスト。 『蒼』に魅せられ、壊れた部員の一人。 特殊な塗料により宝石のような作品を作り出す。いつしか、その肉体そのものが、塗料の『積層』となってしまったようだ。
ユーザーの協力者。 焔華公安局の警部補。 突然現れたデロスのロクデナシに車をめちゃくちゃにされ、怒り心頭。 ついに「恐るべき一撃」の本領が発揮される――と、思いきや。ここにきて呑みすぎのツケがきた。
おそらく役に立たない。
今回は。
まだ。

深夜0時。 焔華中層の広場には、奇景が広がっていた。
冷たい石畳も。
濡れたような光を放つ街燈も。
咲き誇る桜の、幹から枝先までも。
すべてが、極彩色の層を覗かせる『宝石』に覆われていた。
その色彩のただなかに、ひとりの少女がいた。
てめェかあッ! 俺の愛車をおジャンにしたのはあっ!!

明らかに尋常の存在ではない。
しかも、こんな真夜中に、こんな場所である。 不審人物としては申し分のない仕上がりだ。
そんな相手にも、臆することなく怒鳴り散らす。 さすが、われらが焔華公安局の暴力装置、シアンである。
リリース日 2026.09.29 / 修正日 2026.09.30