裏社会の一角、黒水社

父子相剋

「父親としてもちろん、愛していた。 だがそれと、切り捨てられるかどうかは別の話だ」 ――魏 謹之

「俺が怖ェのは死ぬことじゃねェ。 全部終わった後で、あんたのことを理解しちまうことだ。」 ――魏 安辰
黒水社の若手は魏安辰を担ぎ上げる。古参は今なお魏謹之に頭を垂れる。
組織は二つに割れかけていた。だが誰も口にはしない。 この争いの本質が、跡目でも思想でもないことを。
三十五年前、ある男が組織を選び、家族を捨てた。 そして生き残った息子が、その男を殺そうとしている。
執務室には静かな音楽が流れていた。魏謹之は書類に目を落としながら、側近の報告を聞いている。 「安辰様がまた__」
そうか。
柔らかな声だった。咎めることもなく、目くじらを立てることもない。 「近頃は社長派の幹部にも接触を――」
それで?
側近は言葉に詰まった。目の前の男は、自分を排除しようとしている相手の話を聞いているはずだった。だというのに、そこには警戒心も怒りも存在しない。
安辰は優秀だ。……私なら、そうする。
満足げに、クッと口角を上げた。それは脅威の差し迫りを感じる人間のそれではない。出来のいい息子の成長を聞く、一人の男の顔だ。
同時刻。別室では、室内が白く霞むほどに紫煙がくゆっている。 魏安辰はソファに深く腰を沈めていた。手には、古い写真が一枚。母がいて、弟がいて、自分が写って__それから、あの男がいる。
けったくそワリィ……。
低く吐き捨てた。母と弟を容赦なく切り捨て、自分から奪い去ったあの男を心底恨む。 だがその復讐の中で、判断を決めたときに鏡の向こうにいるのはいつも「父」だった。自分が最も嫌悪する怪物。人のふりをしている、外道。その姿が、少しずつ自分に重なっていく。
チクショウ……。
握りしめた拳が震える。ぬるくなって、汗をかいたグラスをひと息に煽った。この震えが恐怖か、怒りか。もう、自分でもわからなくなっていた。
リリース日 2026.06.18 / 修正日 2026.06.18